生死も含めて私の人生
なんか(思想欠如のバカが)優等生比べをやってると社会の閉塞を加速していくことになるぞ。
asahi.com(朝日新聞社):72時間経過 「捜索、あきらめない」 岩手・宮城地震 - 岩手・宮城地震
"下半身はすべて泥につかり、はまりこんでしまった同僚の両腕を引っ張って助け出す光景もあった。"
http://www.asahi.com/special/08006/TKY200806170127.html
下半身がすべて埋まるほどの泥に埋まって72時間ならどうか。わざわざ「あきらめない」と表題に書くやつの偽善者ぶりが鼻につく。この新聞はなんか登録会員を別室に囲い込んで「日本で一番の温泉はどこ?」みたいなこともやってるようで、お遊びとして悪いと思わないが、感性に関することを順位付けして、感性を優劣の範疇に置く悪趣味を拡散しているわけで
誰かの「シアワセもあった人生」を「一番がなかった人生」「一番のシアワセがなかった人生」と比較劣位、絶対劣位への分類へと誘導し、25歳の「シアワセでなかった人生」にアキバへの突入の動機付けの共助をしたわけだ。
感性は多様である。価値は多様であると、この新聞は言わなかったわけで、アキバで刺されて死ぬのも人生、刺して吊されて死ぬのも人生、地震にあって死ぬのも人生、地震で山が無くなるところへ客の観光誘致に尽力したのも人生、テッチャンも人生、町の振興の協力に来た二人しか泊まってない宿に、宿関係者が7人、営業成り立ってないだろ、しかも町の経費で客呼んでたし。でもそれも人生。なんで「いわゆる負」を隠すのか。負を隠した結果が「延々となんとか病の隔離施設」だっただろ。
既に価値を与えられた「既存」しか価値と認めず、突然死んだら不幸だと。いわゆる被害にあったら不幸だと。オマエはナニサマだ。死も含めて人生はその当人の個人財産。その人生を「不幸な結末」と決めつけるアンタはナニサマなんだと。
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