抽象言語と具象言語
でね。原田泰治をググってみたんですよ。ナイーブだとかナントカのキーワードで思いついて。ま、いくつかサイト見て気が済んだんですが。
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「鳥の使命: 続)日本全国吉本化計画」 の記事書きながら。こういう韻文的なヤツって金輪際受け付けない人がいるんだよなと、ま、分かりながら書いてたわけなんだが、それから派生して、絵画ではね
「ジャガイモとカボチャの静物画があって、仲良きことは美しきかな 実篤」とか書いてあるののほかに「目がアッチ向いて鼻が横についてて、手や足が顔からはえてて、その他意味不明に曲線があってゲロニカとか命名されてる」のもあって、だれも抽象を認めないとかは言わないわけよね。抽象はそう言うもんとしてそこにある。
更にね「実篤 だかみつお だか」のジャガイモにしたってアレって具象なのかというとかなりな抽象表現よね。具象って何を持って言うのか。具象っぽく認識されるものを具象というに過ぎないわけで、その実相当にデフォルメされ簡略化されているんだな。具象の本質は実は抽象であると言えるんじゃ無かろうかと思うんだよね。
更にだね。ボタニカルアートとか細密描写の世界もあってそう言うのは具象なのかね。普通にみえる以上に細密全焦点で書かれているわけで、見え過ぎちゃってクラクラするビン底メガネの世界みたいだね。見え過ぎちゃうのは具象じゃなくて過剰って言うべきだね。
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具象とは実態のことなんじゃなかろうか。実態だから具象ってのは一人称なんだな。私に関して言えば、私にとって私は具象体であって、他人にとっては私は抽象体なんじゃなかろうかとね。あの宮島さんは外部に対して不祥!宮島と言っているが彼自身にとっては具象!宮島なんだと思うんだな。しかし実体それ自身以外は具象たり得ないので残念、不祥!と名乗っているんだと思う。チグショーじゃないところが育ちの良さだな。
と言うことで書かれる言語表現に置いても、書かれたこと自体が具象なんであって、それが論理的に成り立たないとか意味不明であるとか不遜なことを言わないようにしないとね。書かれた実態がそこに存在すると。まさにゴキブリとしてここに存在すると。ゴキブリには存在意義があり、ゴキブリはゴキブリ以上でもゴキブリ以下でもないんだと。高らかに宣言する「私はゴキブリだ」と。でもゴキブリじゃない悲しい現実があるんだ。確かグレゴール ザムザっていたな。
つまり。私の文章らしきものが意味不明と見えるとしても、それはそう言うもんなんだと。具象の本体は抽象なんだから、あなたが接することが出来ているのは私の書いた文章の上っ面のいくつかの突起だけなんだ。それを持ってして意味不明だといっても、本来外部の認識というのはそう言うものなんだ。第一人称以外その具象に対して抽象的に触れることしかできないんだと。
私の文章らしきものが意味不明なのは、決して私のせいなんではなく自然の摂理なんだと。
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