続)ユニクロ化したデジタル時代を生きる産業
鳥の使命: ユニクロ化したデジタル時代を生きる産業
http://nessty.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-e222.html
昔、「複製技術時代の芸術」ヴァルター・ベンヤミン著なんての読んだんだが。タマゴ踊りがドンジャラホイじゃなかっただろうか。時代は1892年7月15日 - 1940年9月26日なんだが、確か映画が複製技術で、奇跡的に立ち現れるオーラが複製技術時代には薄れるよねとかそんなんじゃなかったか
で、ベンヤミンさんの時代に現れた映画に関して思索されてた気がするんだが、その前に活字とか活版とか印刷技術は実用化していたわけで、それによる大量複製はオーラを希薄化させなかったのかと …
つーのは、ま、好きな人に悩んで(余生の暇つぶしをして)もらうとして、ベンヤミンさんが20世紀前半に考察した「複製技術時代のオーラの行方」が現今の自動車業界に及んだんだって、
つーよーな、深く思索して少なく消費するとか、良い生活習慣よね。
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コメント
希薄化してオーラが感じられなくなる寸前に
そのかすかな残照をマリックさんが手のひらで受けて
「キテマス 、 キテマス」といってたんだな。
投稿: 本人 | 2009年2月 9日 (月) 23時25分