額縁があるに違いはないが
確か昨日だったと思うんだがオトトイかも知れない。テレパソでテレビつけたら「報ステ」で。シンクロペア日本が中国に勝ちましたって。そしたら暑苦しいマツオカシューゾーさんが おらんでをった のよね「おめでとう、おめでとう」ってね。それを横からカメラが撮ってるわけ。ここでイッパツいきますから「Q」とか出したのかね。当然。即テレビ消したけどね。
で、先日の鳥の使命: 雑記/中身がないのがトレンドの"中身がないと言えばNHK夜9時のニュースのおじさん。"も合わせて思い出して。テレビってのはちょっとした眉のしかめやほほの引きつりが伝わるメディアなんだよね。大声で叫ばなくても、必死に力説しなくても、と言うかしない方がよりよく伝わるメディアなんだよね。なのに絶叫しまくってる。なぜか?
それはね。テレビの視聴形態がナガラだから大げさにくどいほどやらなきゃ伝わらないんだと(誰かが)言い始めて、テレビ業界全体がそう信じないと国賊であるという風潮にそまったからなんだよね。テレビ業界はヒエラルキー構造がしっかりしてて「上意下達(じょういかたつ が正しいんだね)」に逆らえないから上(局プロデューサー)がそういったらみんな従うわけさ。逆らったら外されちゃうからね。
でもね。ナガラの人は絶叫されてもナガラだし。力説してても空々しく見えてるだけだし。それはね。絶叫や力説の本場の「劇場演劇」でさえそうなんだよ。絶叫してても寝る客は寝るんだよね。
劇場では離れた客席に通じさせるためにすべてが大仰なんだよね。それとテレビの作法は違うと思うんだよ。
だけど局プロデューサーが「大げさで騒々しくしろ」と言ってるんだからどうしようもないんで、そいつを矯正するしかないね。あるいは外すかね。外せる人はいるのかね。編集権の独立とかだろ。
ナガラの人は永遠にナガラで。注視する人は唇の隅の引きつりを見分けているわけで。どうせみてない人向けに番組作るのか、一挙手一投足まで注視している人向けに番組作るのかって事なんだが。
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